物語は終わっても人生は続く

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

生存競争においては周回遅れのランナーの気分だ

僕は何時でも人生の節目の肝心なところで勝負に負けて、高みには至らず限界を知って退場するの繰り返しだった。小学生の頃に勤しんだ競技水泳に始まり、高校生でのレコード会社のバンドオーディション、大学生では文学賞への応募、業界最大手のメーカーへの就職面接、入社した企業での競争、自分が役員をしていたIT企業の新興市場上場に係るIPO話、自社ファンドの運営による不動産投資、動物(象)のレストラン事業、東南アジアでのタクシー会社の経営、名古屋の運送会社のM&A全てがもう少しで形になり世の中に出るきっかけとなったはずだったが、才能が足りず退けられてきた。そういえばM資金に関連する金塊取引という与太話もあった。小説やドラマの世界のような人生だと思う。

我ながら敗戦の連続で失敗の原因を探り、次に備えたが自分の力ではどうにもならないこともあり、やるだけやったことへの清々しささえ感じていた。

ただ、まだ出世への意欲は諦めきれず好奇心も留まらず、今回も筋の悪い話に乗って業界の大物を怒らせて詫びを入れている。どうやら死なずには済みそうだが、貴重な儲け話を取られてしまった。

何度も言うが、凡庸な人間が非凡に生きようと運命に抗った結果が今の僕だ。

出来る限りの挑戦をした、能力の限り力を注いだ。悔いはあるが反省はしない、命がけの伸るか反るかの選択は痺れる快楽だから、望んで危うい道を歩いているんだ。

誰もが尻ごむ危ない世界が好きなのだ。馬鹿なんだと思う、たぶん死なない限り治らない。

ただ、誘惑と欲望がうずまく世界で死なずに生き残ったのは一種の才能なのだと思う。

そこだけは認めてほしい、運が良かっただけだが、生き残る才能は生物の根幹の大切な機能で、そこだけは長けていたと胸を張りたい。