物語は終わっても人生は続く

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

好き、嫌い

優しさと冷たさ、厳しさと暖かさ、矛盾しながらも二つの異なる感情を併せ持ち生きている。愛があればこそ見事に成立するレトリックだ。無私の心、自分を勘定に入れては正確な判断など出来ない。我欲に駆られ利己的に生きて失敗した僕は自分が幸福になることを諦めている。或いは10代の頃に読んだ小説の一節に人生を重ね縛られているのかもしれない。自己犠牲による他者への献身は美しく尊い

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙なみだがうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧わくようにふうと息をしながら云いました。

宮沢賢治銀河鉄道の夜

最後にカンパネルラと別れたジョバンニは独りになって家に戻る、切ない話だ。

僕の人生が終わるとき、長い旅の終わりに後ろを振り返ったら誰がいるのかな「もう頑張らなくてもいいのよ」って微笑んでくれる人がいたら嬉しいよ。

愛するということは、自分の気持ちで、相手に願うことではない。でも僕は誰かに愛されているのかな、僕のことを大切な人だと思ってくれた人はいたのかなって考えてしまう。

僕は僕の住むこの小さな世界を愛している。優しく美しい世界の中で、出会った誰をも幸せにしたい、本気でそう思っている。僕は幸せになる資格はないけど、誰かを幸せにしたいと心の底から願っているんだ。

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