物語は終わっても人生は続く

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

海でのはなし

海は独りきりで見に行くものだ、時々海を見るためにだけ、仕事帰りに車を走らせたこともあった。

ふ頭の先端の駐車場で港に出入りする船を眺め、航海の始まりに高揚する期待感や旅の終わりの安堵と倦怠感を乗せた船を見送った。

対岸のお台場の光が幻のように輝き別世界の王国のように思えた。世界から取り残されたような気分で僕は独りで海を眺めていた。

三好達治は『郷愁』という詩の中で、
『海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある』と書いた。その有名な一説を思い出しながら、フランス語の母(mere)の中に海(mer)が含まれることを誰かに話したくなったりしている。

海は命の根源だから、遠い故郷へ帰るつもりで僕は海を眺めていたのかもしれない。

君を海に誘ったのは、僕が大切にしている、感覚や場所を君に見て感じてほしかったからだ。君と見たい景色がある。小さな入江に沈む夕日。波頭を渡る風を潮騒を好きな人と共有したい。それはかなり素敵な考えだなって思いついたのさ。何時か、時間が流れやがては全ては思い出になる。この時代の空気を、季節を、そして君の笑顔の記憶をしっかりと胸に刻みたかったのだ。

君は気が乗らないならばきっぱりと断れば良いのさ。遠慮はいらない、無理を強いることはしない。君が居なくとも僕は独りで海に赴き水平線と空が交わる彼方を探して、人気のない春の海岸線を貝殻を拾って歩くことにする。僕が抱える悲しみも喜びも母なる海の前では些細なことで、自分を浄化させてくれる存在として、僕は海に深く抱かれにいく。弱い男のまま、甘えん坊のまま大いなる存在に身を投じるのさ。

兎に角海が見たい、遮るもののない自然に感情を解放しに出かけたい。

やっぱり僕のイメージの中では隣にいるのは君しか考えられないから、僕は苦しみ困惑しているのさ、なんだろやっぱり君が好きなんだ。

こればかりは理屈じゃ無いから、本当に困ったものだ。

広告を非表示にする