物語は終わっても人生は続く

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

捨て去ることなんて

朝目覚めた時に、ベッドの上で決意した。僕はやはり心の痛みに向き合わなくてはいけないんだと。

開店時間の30分前に店舗に電話をして、14時過ぎに来店する旨を伝えた。幸いにも営業をしていたので安心した。

休日なのに髭を剃り、暑いのにジャケットを着て革靴を履いた。

地下鉄を降りて昼間の六本木に出る、熱波に押し戻されそうな真夏の午後だった。

来意を告げたら、スタッフルームに案内された。そこで、色とりどりの集団の中から1ヶ月振りに相棒と対面を果たした。

最初は直ぐに解ると思っていたけど、そうでもないから可笑しいと思った。100に近い中から、僕はやっと相棒を救出して手に取った。何処にでもある石突きが少し曲がった傘を取り戻す。それだけで胸の支えが取れて気持ちが軽くなる。

僕を案内してくれた気怠い女の子に持って来た手土産を渡すと、意外そうに目を開いたのが印象的だった。

店を出ると通り雨、僕は得意気に取り返した僕の傘を開いて街を歩いた。雨に慌てる人を掻き分けて、ゆっくりとビルの谷間を歩く。愛情を持つものは捨てられないと思い、別れる時は逃げずにちゃんとお別れをしようと決意した。

たかが一本の傘にそこまで、時間とお金を使うのは、非合理で無駄だと思うかもしれないが、理屈で生きている訳でない、自分から捨て去ることはしたくないんだ、小さな事だけどこれは主義の問題なんだ。僕の傘を所定の傘立てに納め「世はすべてこともなし」と有名な詩人の言葉を口にする。

 

痛みは同じさ

僕が言葉を発することで、皆が不愉快な気持ちになるのは解っている。でも同じように僕も傷を負うことを皆は知らない。

自分から望んだ訳ではないが、いよいよ孤独(気分としては孤高だ)な立場を得たのだ。随分と遠回りをしたみたいだけど、用意されていた場所だ。

真意は曲解されて伝わって、僕は口煩い嫌な奴なのだ、それで良いよ、皆が纏まれば目的は果たされる。嫌われ役か、言葉の響きは辛いし、似合わないような気がするけど仕方がない。ただ規律を守るために立場が言わせる言葉なのだ、言い訳してるみたいで格好悪いな。

君との距離を計るのも難しく、最善のバランスを取ることが出来ず何時も悩んでいる。近づかないように、不自然にならないように、それが僕らしいと言えばその通りで、僕と話さなくとも君は楽しそうだなと安心している。

僕が気にすることでもないな、君の決意を僕は受け入れて少しづつ一番遠い場所に離れていくだけだ。

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流体の不規則運動

地球3/4は海で出来ている。人間の身体の水分量も3/4の構成比なんだ。

僕らの心が揺れるのは、そんな身体を持って生きているからだと思う。

彼女にそう告げると

「涙は小さな海だったわね」

と答える

「あなたは、嵐にあって流されたら結局わたしのところに戻るのね」

君ほど…

「あなたのことを心配する人はいないのよね」

そうだよ、君がいてくれて良かったよ、君は最期まで僕と付き合ってくれるの

「あなたが望めばね、あなたみたいに困った人、わたしほっとけないわ」

ありがとう、僕は何時も君に甘えてしまうな、君がいない世界では僕は生きられないよ

「大丈夫、あなたがいないと困る人多いでしょ」

皆僕を利用しているだけなんだ。僕のことは、頼めばそつなくこなす便利屋だと思っている。誰も僕に感情があるとは思ってないらしい。自分のことしか考えていないよ、自分さえ良ければ、そんな人ばかりだ

「そうなの可哀想ね、いつも頑張ってるのにね、でも皆あなたのこと認めているのよ」

そうだけど、そうじゃないんだ

「あなたは繊細で複雑で単純、分かり易い寂しがりやさんね、わたしはいつも味方よ、それじゃ足りない」

ありがとう心強いよ、味方は一人いれば良い

「海のように心が揺れるのは、仕方がないのよ、皆そうなの、許してあげるしかないでしょ」

或いは諦めるかだな、

「あなたが思うようにすれば良いわ」

ありがとう、何時も何時までも

夏が終わったら海に行こう、そう言って電話を切った。

僕の身体の中でイルカが跳ねて、あとは静寂が訪れた。

 

 

 

 

 

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愛してください

何時も許可を貰わないと安心出来ない。僕は此処にいても良いのかな、誰かに必要とされているのかな、僕に会ったことで時間を無駄にしていないか、詰まらなくて退屈じゃないかとか、笑顔で冗談を言いながらも心の中では臆病に、何時もそう思っている。価値のない男だなんて思われたくないから、知識を身に付け、多くの人と会い人脈を作った。影響力のある人物にご機嫌を伺い相手の望む事を常に考えていた。だけど関係は対等であろうと思い、尻尾は振るような真似はしなかった。

嫌われたくないでも、好かれたいでも

なく、ただ愛されたいんだと思う。

僕を認めて欲しい、僕という存在を愛してほしい。

生存欲求に基づき、ただ寂しいから、誰かに近づき愛を乞い、人に懐いて自分の居場所を確保する。そんな猫のような生き方は、調子が良くて媚びをうっているように見えるらしい。

本当は僕も判っている、誰にも愛されてなんていないし、役割や使命を果たす道具として存在しているだけだ。都合の良いだけの便利屋だ。生きる意味としては有りだけど、幸せかどうかは微妙なのさ。

もう一度価値について想いを巡らせる。チャンスとロスについて、人々に利益をもたらす関係性について整理する。確率と統計、事実にあたり客観的な視点を持ち意志決定を行う。感情は置き去りにして、より失敗しない確実な選択肢を選ぶ。情緒に流された論理破綻は愚者の行動だと思う。

僕は何も持っていない、無くした何かを取り戻す為に生きているわけではない。

答えなんて無いけど、論理と情緒の自己矛盾を両手に抱えて愛を求め愛想笑いを浮かべる日々だ。

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誰も知らない湧水

嵐の来る気配があった、風は街路樹の葉を揺らし、木々は艶めかしいダンスを踊った。夕暮れの街に雨の匂いが満ちていく。荒れた天気に掻き乱されぬよう、僕は瞼を閉じて、綺麗な水の湧く美しい土地を想う、広葉樹林の中、清らかでキラキラと磨かれ透き通った水が湧く泉、冷たい水を掌に掬い取り、そのまま君の唇に届けたいと思った。

その時、君がどんな表情をするのか僕には判る。小さな喉を鳴らし君の身体に染みていく清らかな水、一筋の線が胸元に零れ堕ちる。それは官能的で甘美な景色だなと想像して少し照れた。

大人の女のような君が「美味しい」と濡れた唇で呟く、僕はそんな君を時間を止めて観ていたいと願った。

瞳を開き空を睨む、雨は降らず、気配のままで通り過ぎようとしていた。

ぬるい水筒の水を飲む、この水が君の身体に流れるまで何世紀かかるのか考えている。

 

 

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暑く短い夏の夜

とても静かな夜で、風も止んでいた。

家路に急ぐ人を眺めながら、皆幸せなのだろうかと、無邪気な疑問が浮かぶ。

アスファルトはまだ熱く、地球が内側から発熱しているみたいだった。

予定も無く所在無く、誰かを待つふりをして、地下鉄出口の横で夜空を仰いでいた。藍色は群青に薄暮は紫に、そして、濃紺へと夜のヴェールが一枚一枚重なってゆく。月は滴るような紅色で、夏の大三角を探してみたが雲に阻まれ繋げなかった。

ぼんやりと星座を眺めるには、八ヶ岳山麓の野辺山高原がいい、ハンモックに揺られペルセウス座流星群から落ちてゆく星を数えて眠りたい、その隣には…

自分はロマンチックなだけが取り柄だな、と苦笑いを浮かべる。何故かというと、元気だったと訪ねると「元気なだけが取り柄です」と必ず答える後輩を思いだしたからだ。

果たして僕は情緒的な夢想家なのだろうか、或いは論理的なリアリストなのだろうか、シチュエーションによってどちらにでもなれる。複雑で単純で、繊細で大胆な男なんだ。

今日も求められる役割に、にこやかに微笑み任せて下さいと胸を張る。そんな自分は健気で悲しいと思う。誰にでも都合の良い人として世間を渡るから面倒なことばかり僕の前に運ばれてくる。

君に会いたいと思い、呼んだら来るだろうか、と考えて一瞬に打ち消した。

迷惑をかけてはいけないと、自分を戒めた。やっと少しだけ風が吹き半袖のシャツの袖を揺らした。瞼を閉じてやれやれとため息をつき、家に帰り冷えた白ワインでも飲もうかと歩き出す。星降る高原の夜は、きっと楽しいのだろうと考えながら微笑んでいた。実現しない未来は切ないな、そしてそれを夢と呼ぶことに気がついた。気がつかなければ良かったかなと思い、もう一度薄く笑った。

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呼んでいる声が聞こえる

大きくゆっくり深呼吸を三回、肩を落とすと、ため息になるから空を仰いで胸を張った。

長年愛用の傘を無くして1週間が経過した。高くはなかったし、傘の先は少し曲がってクタビレていて、防水機能も怪しい代物だ。

だけど、雨の日には僕と一緒に何処にでも出掛け、預けても忘れず一緒に帰ってきた。僕の傘は、ある生活雑貨ブランドの大量生産品で、同じ傘を持つ人も多いけど、僕にとっては唯一の傘だった。使い古して傘をまとめる部分のベロクロが駄目になり自分で取り換えたり、防水スプレーを施したりして10年近く使用していた。僕には傘を捨てる理由もなかったし、新しい傘にも興味を持てなかった。完璧に近い信頼関係を持つ相棒、僕にとってそんな関係だった。

「キミたちはキレイだね。だけど、まだ中身がない。

だれもキミたちのために死のうとは思わないはずだからね。

もちろん、通りすがりの人が見たらボクのバラも君たちもまったく同じに見えるだろう。

だけど、キミたちを全部合わせたとしても、ボクのバラにはかなわない。あのバラは、たった一輪でも、キミたち全員より重要なんだ。」

僕のお師匠さんの星の王子さまも、そう言っている。傘もバラも変わらない、そして人間も。

大切だと思う気持ちは、相手にも伝わるのだ。しばらく考えていたら、紛失した場所を思い出した。

僕の傘が此処にいるよと呼んでいる。暗い倉庫の隅で僕を待っている気がしていた。

でも、僕は引き取りに行かなかった。この機会を利用して別れのチャンスを待っていたのかもしれない、意図せぬ偶然で無くしてしまったのだと諦めることで、消極的に遠ざかって行こうとしていた。

長い時間を過ごすと、何故一緒にいるのか解らなくなる。飽きていた、もう潮時なのだ。

繰り返すがこれは傘のだけの話ではない。

こうして、僕は相棒を失い雨の日を迎えることになりそうだ。たかが傘一本の話だけど、少し切ない物語なのだ。